西の学者の手記

ムル・ハートと彼とともに仕事をした人間の学者に、「魔法使いの約束」の世界を説明してもらうブログです。

人間と「国」

雪を太陽が照らすと、肌を刺すような光が返ってくる。私もムル・ハートもその中をずんずんと歩いていた。
「ここはどこだと思う?」
「どう考えても北の国ですよ!」
「君はそう思うか!」
 私は深い雪に足を取られそうになっているのに、ムル・ハートは軽やかなステップで雪山を行く。今日箒に乗せられ降りたのは白い雪の上だった。どうしてこの魔法使いはせっかく自分の天文台を持っているのにこんな雪深い山に来るのだろう。



 今日は空が青々と晴れており風もない。もし吹雪が強くてもムル・ハートはここに私を連れてきただろうか。連れてきたんだろうなと彼の足跡を追った。
「さて、この辺にしよう」
 ムル・ハートは傾斜がなだらかな山肌に雪を固めて屋根を作った。ひさしのようになったその下に入ると、刺すような太陽の光が少しだけやわらぐ。
「ああ、これは」
 見下ろすと、そこには村が広がっていた。稜線に沿って広がる集落は山の上から見るとのどかでありながら壮観であった。
「営みだね。人間たちの営み」
 ムル・ハートはその下に座り込み、その隣に私も続いた。集落ではひとが何人か行きかっている。
「質問を変えよう。君はあの人間たちはどこの国の者たちだと思う?」
「北の国の民ではありませんか?」
 ムル・ハートは首を横に振る。
「彼らは北の国の民ではない。また、ここから国境も近い君たちが新しく『中央の国』と呼ぶ国の民でもない。かれらはどこの大きな行政機関にも属さずに暮らしている人間たちだよ」
 眼下の村を見た。山間の小さな集落だが人が行きかっている。ムル・ハートが言うには以下の通りだった。彼らは北の大魔法使いたちが世界を征服しようとしたときにも、その後に興ったグランヴェル王家が支配する領域からも取り残された者たちだと。
「それでもこの厳しい環境下で生きていける姿が面白くてね。たまにこうして見に来ているのさ」
「アレク王が身罷ってから100年は経ちました。中央の国は彼らを領土の支配下には置かないんですか? 今やグランヴェル王家はわが西の国に匹敵するほどの行政能力を持っていますが」
「そうか、あの銀髪の王が死んでまだ100年か」
 ムル・ハートは雪の上に火を起こす。雪の上でも焚火のようにその火は燃えていた。私と彼が座っていたひさしの下もじんわりと温まってくる。魔法だ。科学では説明のつかない魔法。
「その100年くらいでは、この集落を支配するのに人間は至らなかったのだよ。君は恐らく当たり前にこの大陸には5つの国があると思っている世代だろうが、結局国なんてものは誰かの頭の中で考え出した構造を人を使って再現しているにすぎないのさ」
 ムル・ハートは空中に大陸の地図を浮かべた。今いるのはこのあたりと彼が言うと、中央の国と北の国の間の山脈がぼやっと光った。
「まさか私はこの大陸の真ん中を独占する国が興ろうとは、300年前には想像していなかったんだ。当たり前だが、海岸線が短いものの、運河に恵まれ気候も安定し、穀倉地帯も広がるこの大陸の中央は、古今東西、古代からあらゆる権力者が支配をもくろんできた」
「わが西の国は今も」
「鋭いね。そのまま学会で言ってお偉い方を怒らせそうだから君の気骨は好きだよ」
 褒められたのかけなされたのかわからなかったが、誉め言葉として受け取っておくことにした。
「そこを、二人の北の大魔法使いがある日突然征服した。先生もそれは近くでご覧になりましたか?」
「ああ。やることがなくて退屈していた彼らのヒマつぶしさ。長すぎる寿命も強すぎる魔力もいけないね。自分の想い通りに支配できないことなど一つもないと思うし、一つでも意のままに沿わないことがあれば赤子よりも泣きわめいてしまう。私もそうさ」
 オズとフィガロという、伝説上の魔法使いの事を思い出した。当たり前にムル・ハートはこのことを知っているのだ。
 眼下の村から一頭の馬車が出ていく。荷台に沢山のものを載せていた。どこかに売りに行くのだろうか。まったく交流のない集落ではなさそうだった。
 グランヴェル王家の興りはこうだ。ある日二人の強大な魔法使いが世界征服を目論見てこの大陸を手中に収めようとした。当然豊かな大陸中央の土地もだ。しかしある日突然その征服は終わりをつげ、大陸には混乱ばかりが残った。
「わが西の国も混乱に乗じて大陸中央を支配しようとしていたが、国内の情勢を安定させることの方が重要だった。そこで立ち上がったのが人間と魔法使いたちの連合革命軍。その流れを引いて成立したのが『中央の国』であると」
「まあ結局、魔法使いは国など持てなかったがね」
 ムル・ハートは頬杖をついて雪の上の炎を見た。太陽の光と火の光は違う光り方をする。
「魔法使いたちはなぜ国を持たないのでしょうか」
「生まれが突然だからね。魔法使いの子が魔法使いとは限らない。人間から突然生まれてくる。いまだかつて記憶にある限り、一国の王となった魔法使いはいない。まあ、数百年のうちに現れるかもしれないが、現れるとしたら相当苦労するだろうね。新しい倫理を築きあげなければ魔法使いが人間の王になることはないよ」

「魔法使いの王がですか?」

「ああ。私たちの倫理は君たち人間とは違う。長寿だからさ。長寿があれば群れなくて済む。群れが大きくないならば王はいらない」
「長寿があれば群れなくて済む?」
「そう仮定して君の論を聞かせてもらおうか」
 馬車が出て行った村に小さい影がいくつかあらわれた。子どものようだ。はしゃぐ声はこちらに届くほどではないが、円を描いて3人ほどで走り回っている。私も故郷の村ではこうしていたな。弟たちが小さかった頃を思い出した。
「3つ下と5つ下に弟がいます」
 焚火の炎が温かいからか、いつの間にか口から出る息は白くなくなっていた。
「私はそこそこ勉強が出来て、13歳の時に王立学校に行くことになりました。それでも季節ごとには故郷に帰って、弟たちと遊んだり、勉強を教えたりしていました。父も母も健在ですが、私がいない間は両親を手伝ってくれと話しました。年を取った彼らのそばに私はいてやれないかもしれない、王都で研究が忙しいかもしれないからと今も弟たちに話します」
「もし、君に200年以上の寿命があったら、ご両親がいよいよという時にどうする」
「……研究は後に回して、両親のそばにいると思います。看取るために。研究は後からでもできますので、まずは大事な人のそばにいてからでも間に合います」
「そう。私たちは年少の者に何かを託すということしない。託さなくても十分な時間があるからね。王を例に考えると分かりやすいだろう。王は自らの子を次の王としたがる。それは一番近しい年少の者に、自分が築き上げてきたものを託したいという気持ちがあるからだ。王権もしかり」
 魔法使いは違う。もし人間たちの上に立つ魔法使いの王がいるとして、その子が人間であれば子の方が先に死ぬ。次の世代に何かを託さなくても、自分でやってしまえる。次の者を育成するという概念がそもそも乏しい。ならば共同体自体が、その大きいものである国自体が育たないのだと彼は続けた。
「あの村を見てくれ。この厳しい雪山のふもとで彼らは次の世代にこの土地を守るように、繁栄させるようにと思って共同体を保ち続けてきた。今この大陸にある国々も皆そうだ。次の世代が幸せであるように、次の世代が苦労をしないように。また年老いていく上の世代もその最期が穏やかであるように。そう思う人間たちの共同体が集落を生み、集落は大きくなって国となった。しかし、魔法使いたちにはその素地がない。いや、ないわけではないが薄い。自分と同じ世代の人間が年老いていき、やがて一人もいなくなるほどに薄まっていく。そして、移り行く世代の中で取り残されたように生きる。人間たちと姿かたちは同じで、人間から生まれるのにもかかわらずだ」
 ムル・ハートはなぜか笑っていた。諦めのような、好奇心のような笑みだった。
「なぜ先生は、確実に先生より早く死んでしまう私にこんな話をするのですか」
「私の考えを、人間という移り行く世代を紡いでいく存在に託してみようと思ったからさ。言っただろう? 研究体系は一人では作れないと。これも私の研究の一部さ」
外で遊んでいた子供たちは、親に呼ばれたのか家へと帰っていった。
「これは根拠のない仮説だが、何故魔法使いたちは長命なのか、不思議の力を使うのか、解明できるのは魔法使い自身ではなく人間たちだと思うんだよ。君と仕事をしようと思ったのはその仮説の立証のためだ。恐らく数百年はかかるだろうがね」
 風のない、静かな山で小さい集落を見下ろした。あの集落で連綿と紡がれてきた「群れ」の営みの、その流れの外にムル・ハートはいるのだ。
「おそらくあと100年くらい経てば、この村も恐らく中央の国の一部となるさ」
「北の国ではなくて?」
「グランヴェル王家のほうが勢いがあるからね。若い国とはえてしてそういうものさ。人の群れを見て過ごせばわかる。勢いと流れのより大きい方に、人ひとりも集団も飲み込まれ組み入れられるものだよ。あの王家は新興勢力のわりによくやる。さすが大魔法使いたちの征服のあと、混乱の中から立ち上がっただけある。精鋭の揃っている『群れ』さ。わが西の国が畏怖するのもわかるね」

 群れ、とムル・ハートはいとおしそうに呼んだ。けっして届かない憧れにささやくような声だった。先生はこの「群れ」に入りたいのですか? 聞こうと思ってついぞ聞き出すことが出来なかった。

 

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